私の場合
ダラダラ(!?)長々と
英語に関わっているんですが
それでも
いいんじゃないかと
最近よく思うんですよね。
「ダラダラ(!?)、長々」
と書くと
聞こえが悪いかもしれませんが
別の視点から見ると
英語が
特別なものではなく
当たり前の
日常となっている
ということですからね。
今でも
「ふとやろう!」
と思ったタイミングで
オンライン英会話も
やるし
ネットやYouTubeで
英語の情報を見るのは
当たり前だし
(↑
ちゅうちょすることなく
英語に入り込める)
身構えることなく
英語でメッセージを
送ることもできる。
完璧な英語では
ないですけどね。
私はそもそも
完璧さとか流暢さ
は手放しています。
そういう
自分を制限するものから
自由になっているのです。
これは
実際に海外の人と
英語で関わってきた経験から
導き出したことです。
「このレベルにまで
ならないとダメ!!」
というような
負荷をかけたり
自分に
制限をかけたりしない。
だから
自由に英語を
「私の」
当たり前の日常
にできるんです。
完璧さとか
流暢さ
っていうのは
窮屈なんです。
そして
多くの日本人英語学習者が
残念ながら
自分で自分を
その窮屈な枠に
縛り付けている
と
つくづく感じます。
(これは
私たちが受けてきた
教育の影響だよねー。)
ある意味、教育は
私たちを不自由に
そして無力化する。)
最近、
自ら行動して
経験することで
実体験から
判断できる人が
増えてきたのを感じるんですが
そういう人は
これまで私たちを
不自由にしていたもの
完璧さとか
流暢さ
が実は
それほど意味のないことだ
ということがわかって
そういうものからは
自由なんです。
そういう
敷かれたレールからは
意図して
真っ先に外れているんです。
そして
私たちが英語でも
ブレークスルー(飛躍、突破)
するためには
そのレールから
外れていなければ
ならないんです。
もう私たちは
自分を制限している基準を
自ら取り去って
ただただ
自分の好奇心に
身を委ねた方が
うまくいく。
英語は
もうがむしゃらに
勉強するものではない。
基礎を軸に
あとは
好奇心の赴くままに
英語を
あなたの当たり前の
日常にしていく。
(長々とやっていく笑)
そういう余裕が
うまくいく秘訣です。